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アメリカ史研究会 第 206 回例会

テーマ: 修士論文報告会

日時: 2004 年 4 月 24 日(土)13:00 - 16:30

会場: 東京大学駒場キャンパス 12 号館 1213

論者および題目:
1) 丸山雄生(一橋大学・院)
 「P. T. バーナムとアメリカ文化におけるキュリオシティ」
 コメンテーター:能登路雅子(東京大学)

2) 安田こずえ(東京外語大学・院)
 「『スモーキング・ティーチャー』事件 1923 - 1928
   — ニュージャージーにおける新しい市民 —」
 コメンテーター:松本悠子(中央大学)

3) 川口悠子(東京大学・院)
 「原爆と『平和のシンボル』論
   ー戦後初期の広島市における戦災復興問題を中心に」
 コメンテーター:林義勝(明治大学)

司会:貴堂嘉之

毎年恒例となっている修士論文報告会が行われた。今年より、報告者にコメントをしてもらいたい会員の希望を募り、報告者一人に専門分野のコメンテーター一人をつけて報告してもらう形式に変更した。その成果もあって、3 本の報告、コメントともに刺激的なものとなり、50 名以上の参加者を得て、例年にない盛会となった。

まず、1) の丸山報告は、P.T.バーナムにより企画されたさまざまな見世物の分析を通じて、19世紀後半のアメリカ文化を「キュリオシティ」の構築という観点から示し、同時代のハイカルチャーとポピュラーカルチャーという二項対立的に描かれる文化論に一石を投じた。能登路コメントでは、キュリオシティという視座が、文化研究では、もっと広く大衆のイマジネーションの世界を形成するものと考えられ、当時の文化消費・文化アイデンティティとの関係でより発展的に問題設定を拡大できる可能性が示された。またサーカス文化では、コニー・アイランドでのベービー・ショーの事例紹介など、当時の医学やエスニック・人種偏見、身体表象との連関が重要であることが指摘された。

2) の安田報告は、1920 年代に NJ で起きた高校の女性教師による喫煙事件が取り上げられ、革新主義運動期の「市民」「市民的公共」の作られかたに関するオリジナルな研究がなされた。松本コメントでは、革新主義研究とジェンダー研究の接点にある興味深い論点が提示された一方、社会史研究としての事件の取り上げ方の困難さについて言及がなされた。フロアからは、同時期の猿裁判(進化論)との関係を問うものなど多くの質問・コメントがだされた。

3) の川口報告では、原爆投下後の広島市で、1947 年 8 月頃までに「平和のシンボル」が主張されるようになる経緯が、SCAP の関与や戦後復興、平和行事との関係のなかで検証された。林コメントでは、近年の戦争の記憶論や戦争責任論との関係や、SCAP と国会の交渉過程については一次史料が存在する可能性があるのではとの質問がだされ、また、公刊文書には現れない日本人の心情的な側面の重要性についても指摘がなされた。フロアからも、政策決定には必ずしも合理的思考が貫徹したわけではなく、感情的な側面があったのではないかとの同趣旨の質問がだされた。また、扱う時期についても、原爆投下の健康被害が判明してくる時期まで含めて考察することが、原爆情報の統制問題との関係でも重要ではないかとの指摘がなされた。

いずれの報告も、既存の研究を発展させるオリジナルな問題意識を含んでいて、興味深いものであった。コメンテーターをつけるやり方も好評であったため、次年度以降を続ける方向で考えたい。

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2004年09月14日 21:33に投稿されたエントリーのページです。

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